原田小学校3.4年のアルバム
昭和33年頃の給食風景。当時の給食の献立はコッペパン1個と副食(おかず)、脱脂粉乳のミルク、パンにはジャムやマーガリンが付いていた。1.2年生の頃は「肝油」が付いていたように記憶している。この頃の子供にはまだ栄養が足りていなかった子供が多くいたのである。

(「肝油」とはタラや鮫、エイなどの魚類の肝臓から抽出した油脂を原料とした栄養補助食品。ゼリー状に固めたものに表面に甘味をつけたゼリービーンズのような食感で、戦後の学校給食に添えられていた。)
クラスごとに給食係が決められていて、給食室から大きなバケツに入った惣菜を運んで、それぞれの机の上に配られた食器によそっていく。(4年生の教室で)
(写真上)4年生から卒業までの3年間お世話になった坂部音治郎先生
坂部先生はご自身でカメラを持ち生徒たちの成長過程をこまめに撮って下さっていた
昭和33年の遠足風景。4年1組坂部先生のクラスメイトたち.
岬公園へ遠足・桑木校長先生の説明を聞きながら大阪湾を眺める。
写真上は4年生の諏訪先生のクラス。諏訪斐先生の原田小学校での在任期間は昭和32年4月から昭和37年4月までと比較的短い。細身で長身の少し神経質なタイプの先生だった。
(写真上)4年生の山口、田中、鹿田、花河君
(写真上)4年生の酒井秀美さん
(写真上)4年生の吉岡信子さん
(写真上)昭和34年3学期の学芸会風景。4年生の劇『裸の王様』。この劇では人前で裸になるのがイヤで主役を辞退した生徒がいたというエピソードが残っている。