昭和36年卒業6年1組クラス同窓会のあゆみ
卒業して最初のクラス会は卒業から数ヶ月後の夏だったと記憶しています。中学生になって、新しい環境に慣れた頃でした。行き先は須磨浦海岸へ海水浴場でした。坂部先生の記録では昭和36年7月24日と記されています。そのあとこの翌年の昭和37年7月31日にまや山へハイキング。これらの企画は恩師坂部先生ご自身で企画していただいたもので、クラスメイトの中から幹事が自主的に計画立案するという形はまだ出来上がっていなかった時代です。

2009年2月20日更新
(写真上)神戸須磨海水浴場の海の家で
卒業生のほとんどが同じ中学校へ進学しているので、それぞれに声を掛けて集まった。みんな制服制帽姿で参加していた。
(昭和37年7月31日のまや山へのハイキング。)
坂部先生にとって私たちの学年が最後の担任で、このあと教頭になられた。
摩耶山へのハイキングに参加した女子生徒は米田さんと樋上さんの二人だけのようだ。男子は10名。
その後6年1組のクラス会同窓会がいつ行われたのかは、記憶にも記録にも残っていません。そして28年ぶりの平成元年(1989)5月に一度、さらに平成7年(1995)6月阪神淡路大震災のショックが覚めやらぬ頃クラスメイトの中田君の幹事で開催されました。これらの写真は平成元年のときのものか、平成7年の時のものか定かではありません。そして、まことに残念なことではありますが、このときすでに坂部先生はお亡くなりになったあとの集まりでした。
平成元年(1989)5月20日原田小学校を卒業して28年、不惑の歳を迎えた22名が参加した。恩師坂部音治郎先生は、この年の1月19日76才で永眠されました。
中田幹事の挨拶
このときの同窓会は豊中駅近くの「やまと」で開催されました。遠く東京や九州からの参加者も、そして写真では他のクラスからの参加者もいたことが判ります。
このあと平成7年6月10日場所も同じ豊中のYAMATO(やまと)で開催。
このとき花河君がハワイのホノルルで心臓外科医として活躍されているクラスメイトの福山君を訪ねたときの写真が紹介されました。

そして平成21年(2009)じつに14年ぶりに、今回は全学年で同窓会を開催する予定です。
2009年6月、原田小学校の同窓会開催に帰国のスケジュールが合わないとのことで、その少し前に福山君との食事会を持った。卒業して48年の歳月がたった感動の再会。
子どものころから勉強がよくできた彼は、小中高と常に成績はトップクラス。ただ、東大へ進学した当時は学園紛争の真っ只中、とても勉強のできる環境ではなかった。1年途中で退学し渡米、語学学校を経てアメリカの大学の医学部へ進む。
福山君は二人の御嬢さんを連れて参加。原田小学校の同窓生では吉岡さん、筧さん、花河君、中田君と私が参加しました。
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