2008年8月24日・還暦記念同窓会

いよいよ還暦を迎える年になった。

このホームページを立ち上げて丸6年。その後に『思いでアルバム豊中一中時代』というコンテンツを作ったときに、『あと数年で還暦を迎えようとしている』と書いたのがついこの前だった。そしていま、それが現実となった。
60歳になろうとしていても、別段自分の肉体や精神に何がしかの変化があるわけでなし、ただ日々の積み重ねと時間の経過の延長上でしかないのだが・・・・。ただなんとなく、“区切り”というものを意識しなければならないような、ある種の心理的な通過儀礼が慣例化してきているような気がする。周りが言うほど当人は年齢を意識していないのである。
残暑厳しい8月24日、われわれ豊中一中3年12組の『還暦記念同窓会』を大阪梅田で行った。卒業してから45年。月並みな言葉だが「あっという間の45年」だった。参加した多くの旧友たちも同じ思いだろう。見渡せばやはりみんな年相応の顔になっている。

ただ残念ながら、それぞれの事情からこの『還暦記念同窓会』を供に祝い楽しむことが出来ないクラスメイトも何人か居る。
そしてその中でも、心ならずも早世した級友の顔が浮かんでくる。このような区切りの年の同窓会に同席できなかった仲間たちにこのページを捧げる。

2008年11月14日更新

今回の「還暦記念同窓会」では、恩師大西先生の奥様のお心遣いで、私たちに記念品をお贈りくださいました。小さな真珠の付いたブックマーカー(栞)です。そこには『静観自得』という文字が刻まれています。
卒業から45年経った今でも26人もの同級生が集まるという驚異的な結束力は、いったい何処から来るのだろう。・・・・・そして、楽しみは2次会の場へと移る。
2次会からはよそのクラスのお二人が参加。ここでも45年ぶりの再会があった。
私たちの学年は14クラスあった。一クラスそれぞれ約50人として、700人近い生徒がいたのだ。その14クラスのうち、今もクラス単位で同窓会を行っている組がある。3年5組浜里先生のクラスだ。11月9日大阪市内で行われた5組の同窓会に出席した。参加したほとんどの顔ぶれとは45年ぶりの再会だった。今も同窓会を続けているのはこの5組と私たちの12組だけである。
福田さんとは正に半世紀ぶりの再会と言ってもいい。お互いの実家は50メートル程の所にある。小学校の入学時も同じクラスになって、真新しいランドセルを背負った二人が手を繋いで登校する姿を、後ろから双方の母親が並んで微笑ましく見送っていた光景が思い出される。その”福田のゆきちゃん”が今ではすっかりふくよかな明るいおばさんになっていた。実に懐かしい。
3年5組の同窓会に出席した14人の中で、53年前の原田小学校の入学時に写した集合写真に3人の顔が写っている。
手前から2列目の左から二人目が福田さん。最上列右端が平林さん。最上列左から5人目が私。このときの担任の先生は佐藤マサ子先生。優しい先生だった。(昭和30年4月の撮影)
この日浜里先生は体調が思わしくなく欠席されましたが、8組の加集さんと私が加わって14名。中学時代同じクラスになったこともなく、初対面同様の人たちとも昔の卒業アルバムと見比べながら、45年前のあの頃を思い出して会話が弾んだ。