思い出アルバム・豊中一中時代


球 技 大 会



1963年、恒例の校内球技大会が開催された。放課後それぞれのクラスから選出された生徒達が持ち前の技を競う。勉強が不得手でもスポーツの得意な生徒にとっては、皆から注目を浴びる数少ないチャンス。競技種目は男子がソフト・ボール。女子はバスケット・ボール。3年生14クラスによるトーナメント方式。メンバーに選ばれなかった生徒達も残って応援。我々12組大西学級は男女とも準優勝の好成績を収め有終の美を飾る。特に男子決勝は僅か1点差で惜敗。こうした結果は、クラスの一人ひとりに大きな自信を付けることになった。「やればできる」という気持ちが芽生えた。そして、何よりも担任である大西先生にとっては、生徒達のこの活躍は頼もしく誇りに思える瞬間だったのではないだろうか
いかにも飛びそうな中島君のバッティングフォーム、見守る女子生徒の声援も気になる
女子生徒の懸命な応援の甲斐なく、残念ながら力みすぎて凡ゴロ・・・、
田中さんと北本さんは鉄棒で懸垂しながら力のこもった応援。(上の写真は部分拡大します)
快勝、見事勝ち抜いて笑顔で引き上げる12組ナイン(写真上)
上の写真を自動カラー化したものです
女子バスケットボールは校舎北側のグラウンドを使って行われました。その後この場所に体育館が建てられました。私たちの時代は体育館や講堂、プールはありませんでした。
試合開始の挨拶。審判はバスケットボール部の選手が担当、この試合は13組の小岩次郎君が審判。12組対6組の対戦
バスケットコートの東側植え込みの向こうは阪急電車の曽根駅、さらにその向こうには民家の建物が見えます。今はその民家は無く、スーパーダイエーなどのビルが建ち、駅も高架になりました。
下の写真には停車中の車両が写っています。
上の写真には阪急電車の車両が写っています。線路の向こう側には当時まだ「星ケ丘茶寮」の建物が残っていました。北大路魯山人ご本人はすでにお亡くなりになっていて営業されていたかどうか不明だが、当時の地図にはその存在が明記されています。

現在の「豊中市立文化芸術センター」の場所はまだ「芦田ケ池」と空地でした。
写真上、6組の試合ぶりを観戦する担任の西川先生