写真集・戦後の勝部の風景 (三) 
子供たちの夏休みの遠足
戦後も10年目を迎えた昭和30(1955)年7月30日、子供たちの夏休みが始まって約1週間。勝部地区の夏休み遠足の行事が行われた。行き先は猪名川上流から多田神社方面。小学生を中心に未就学の子供や中学生も数人入れて、子供たち約70人。付き添いの母親達、小学校の地区担当の先生など大人約20人の総勢90人に及ぶ大移動。

戦後の混乱期を乗り越えて、食べる物、着る物に少しずつではあるが不自由がなくなりつつあったこの時代。でも、まだレジャーを楽しむ機会も少ない頃だったので大勢の子供たちが参加した。

猪名川の河原での飯盒炊さん、清流での水遊び、大阪の郊外にはまだ豊かな自然の風景が残っていた時代。
厳しい戦中戦後を子育てしながら乗り越えてきた母親達の逞しい顔。そして何よりも子供たちの表情が明るい。

2004年4月16日更新

2020年5月10日 写真を追加して更新
 
 
 真夏の日差しを浴びながら、浅瀬を渡り上流へ向かう遠足の一行
 
 
 河原では飯盒炊さんが始まる。汗だくになって人数分の米を炊く母親達
 
 
 日陰の場所を選んで昼食がはじまる。
 
 多田大橋の下で飯ごうの蓋に盛られたご飯を頬ばる子供たち 
 
 
 浅瀬で水遊び。日傘を差して子供たちを見守る母親。欄干の欠けた多田大橋が写っている。写真左下には当時でも少なくなりつつあった「黒猫褌(くろねこふんどし)」を着用した子が写っている。
 
 
 カメラを操作するのは山田さんのお母さん
 
 
 
 
 
 
 この時代の水着は素材も悪く、水を含んで重くなり、形もだらりと崩れる
 
多田神社で 各班ごとに記念撮影。子供たちの明るい笑顔が素敵だ
 
 
 
  多田神社の大鳥居を背に参加者全員の記念撮影。

勝部の子供たちが全て参加したわけではないが、当時の勝部にはこれほど多くの子供がいました。この十数年後には大阪空港の拡張に伴い、土地や家を手放して勝部を去って行った人。成人して他所の土地へ嫁いで行った人。それぞれの事情で多くの人たちが勝部の村を去って行きました。
今も勝部に残っている人の数は僅かです。ここに写っている子供たちも、今や70歳代の年齢に達していることでしょう。

お互いの音信も途絶え、おそらく再びこのようにして一同に会することはもうないでしょう。そういう意味でもこれら一連の写真は、ただ懐かしいと云うだけでなく、貴重な記録でもあります。

 上の写真を拡大して見ることができます。 
 森田治夫・土田宗佑・古沢敏信・古沢信彦・石橋成一・遊上真一・樋上・野市・田辺利彰・
 

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