写真集・戦前の勝部の風景

昭和三年奉祝御大典・勝部説教所に於いて
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昭和元年12月25日から国内をあげて大正天皇崩御の喪に服したのち、昭和3年11月10日、京都御所にて即位の『大典』儀式が行われた。これに伴い「即位御大典祝賀行事」は一般庶民の間にも全国的に広がり、様々な趣向で行われた。軍人の格好や奇抜な仮装で村中を練り歩いたり、屋台を引き回したりと、各地の村々で写真の様な行事が催された。
(大正天皇は12月25日に崩御されたので、昭和元年はわずか1週間だった)

場所は村の中心部にある説教所の前庭。通称”お寺”と呼ばれていて村の集会所、公民館のような施設である。戦後もわれわれ世代の子供たちはこの庭でビー玉、べったん、石蹴り、ゴム跳びなどして遊んだ思い出深い場所である。入り口外の右手には火の見櫓(半鐘台)があり、左手には精米所、本堂の左には青年団の集会所があったように記憶している。

写っている人物の中に叔父の伊太郎がいる。他に森田政吉さん、樋上兵一さん、渡辺美治郎さん、遊上貞次さんらも。最前列の「付け髭」の人は中井さんのお婆さんだろうか・・・。
前から2列目の右から3人目(三味線を持った人の右隣)に明治7年生まれの祖父伊三郎が写っている。この時彼は54歳。こうして見ると写っている人は明治大正生まれの人ばかり、中には幕末に生まれた人もいるのかも知れない。幼い子供たちも大正末期の生まれだろう。

当時このような写真撮影は専門の写真館がカメラマンと機材を派遣して撮影した。
現物のこの写真の台紙には『阪急線岡町停留所前岡町写真館電話岡町五五番』とある。

この時代まだ「豊中市」は存在せず、勝部の住所表記は「大阪府豊能郡南豊島村大字勝部」であった。
その後昭和11年になって「豊中市」が施行されることになる。
さらに、勝部が豊中市に編入されるのは戦後の昭和22年になってからです。

2002年11月掲載