個人的体験 その五

又々・心筋梗塞体験記

2006年6月28日、約5年振りに心臓カテーテル手術を受けた。
最後に受けたのは2001年4月4日だったから、もう5年と2ヶ月も経っている。今回で7度目のカテーテル。この5年間で医療技術や医療器具も随分変わったことは耳にしていた。今回の体験記は実際に自分自身が体験したことを、より具体的な表現でありのままを公開しようと考えた。

5年前の最後のカテーテル以降、自分自身の食べ物に対する欲求に打ち勝つことが出来ず、ダラダラと不摂生の日々を積み重ねてきたことで体重も増え、いつしか最初に発作が起きたときの体重をオーバーしてしまっていた。『痩せたい、痩せなければ・・・』という思いばかりで、なかなかそれが実践できない。ついつい食べ過ぎてしまって、『明日からはきっと・・・』、『来週からは絶対に・・・・』と、常に先送りしてきたことがすべての結果に出ている。2006年の年明けから『近々いっぺんカテーテルしてみよか』と主治医から言われ、そのスケジュールを考えながら、ようやく”6月の末に”ということで今回の検査が実現した。
当初は血管造影だけで済むなら簡単に終わるだろうと思っていた。なお、知人からは『今は股間の動脈からでなく、腕の血管から挿入する方法になっている』と聞かされていて、『股間からの挿入に比べ、術後の処置が相当楽になった』と言う話。さらにオチンチンから膀胱への管の挿入も必要ないと聞いていたので、気分的には楽だった。

6月27日午後1時10分、入院用の荷物をバッグに詰め込んで、途中本屋に立寄って2冊本を買い一人で入院手続きをした。担当ナース長谷川さんを紹介される。S主治医からは『一度造影して確認しておいたほうが安心やろ、明日10時から始めます。奥さんにも来てもらって下さい。万全を期してやりますけど、万が一緊急の事態が起きたとき、奥さんに説明しなければならないので・・・・。』と、いつものように忙しない話し振り。

”万が一の緊急の事態”とは、血栓をほじくったとき、その血の塊が血管の中を流れて、脳の血管を詰まらせることが、僅かな可能性として存在することを意味している。そのために渡された同意書に私と妻の署名と捺印をして提出する。これは今までと同じことだった。6月28日朝6時ごろには目が覚めた。程なくして検温、血圧、採血。この日は朝食抜き。9時過ぎに妻が来る。病室でカーテンがベッドを囲うように遮って、ナースによる準備が始まる。胸に幾つもの電極のシールが貼り付けられる。そこには何本もの細いコードが付いていて、手術室の心電図や心拍数などを見るさまざまな計器類に接続する為のコネクションが付いている。左手首に点滴の針を入れられるが、血管が出ないので手の甲の血管に入れ直す。手術室までは車椅子で運ばれる。股間の動脈からのカテーテルの場合は、オチンチンの管を入れることで、搬送用のベッドに寝かされたまま手術室に運ばれたものだった。


点滴の針がなかなか入らない




ようやく針が入って準備完了

様々な計器類に接続するコードが付いた電極




いよいよ車椅子で手術室へ
なんとなく不安げな表情


手術室では主治医のSDr.と若手のODr.とNDr.の3人が待機していた。そのほか検査技師、手術担当のナースを入れると10人近いスタッフの人数。自分で手術台に乗って仰向けに寝る。
丸顔の小柄な担当ナースから『お久しぶり』と声を掛けられる。ベテランのこの看護婦さんには何度もお世話になったので良く覚えている。向こうも私の顔を覚えていてくれたのだ。こんな何気ない些細な一言でも、いざこれから手術台に上がろうとする患者にとっては気持ちが落ち着いて不安が解消される。

すかざず様々な計器類がセットされ、左上腕に血圧計のベルトが巻かれる。定規で胸の厚みを測られ造影機の高さが調節される。ODr.の『ちょっとチクッとしますよ』と言う声で右手首に麻酔が打たれる。いよいよ始まりだ
メスを入れるのはどうやら若手のODr.のようである。主治医のSDr.は何やらいろいろと細かな指示をしている。スタッフ全員が慌ただしく動き出す。しばらくして麻酔が効いた右手首に加重が掛かる感覚。胸部の圧迫感。造影剤が注入されたようだ。
検査技師や看護婦たちが頭の先で忙しく動く様子が感じられる。
『ハイ!そこでゆっくりと深く息を吸って』とSDr.の声。
そして、最初の造影。『ああやっぱりここで狭窄してるわ』と主治医のSDr.、『ちょっとモニターこっち向けて見えるようにしてあげて』と検査技師に指示。
顔を左に向けると目の前に造影のモニター画面が間近に見えた。『辻村さん見てみ、この右の冠動脈がほとんど塞がってるやろ』とモニターを見せられたのが次の写真である。

『辻村さん、今からこの部分に風船入れて血管拡張させていくから、少し苦しいけど我慢してナ』、『ハイ!』と素直に返事。丸顔のナースが『大丈夫よ少しの我慢で楽になりますからね』と励ましてくれる。

『気圧8!』と手術室に響き渡るODr.の甲高い声。さらに『気圧10』『12!』と造影のたびに手術室の蛍光灯が点滅する。『大丈夫よ、もうすぐ楽になるからね』と言いながら丸顔ナースが額の汗を拭ってくれる。『気圧14』さらに『気圧16』とどんどん上がっていく。
『辻村さん、血管がそうとう硬くなってしまってるからまだ気圧高めていくけど我慢できるか』と主治医のSDr。。『ハイ頑張ります』と返事。このときの心境は『早く無事に終わらせてほしい』といった気持ちだった。壁に掛かった時計が気になる。
PTCAとは経皮的冠動脈形成術のことである。
患部の血管に風船を挿入して気圧をかけて膨らませ血管を拡張させる。


ここら辺りから主治医のSDr.が処置に加わり、風船の気圧はさらに18、20と高められ、21でようやく塞がりかけていた血管が広がった。手術室の時計はすでに11時をまわっていた。その間、丸顔ナースは『大丈夫?苦しくない?頑張ってね、もうすぐ楽になるから・・・。』と気遣ってくれる。『モニター画面もう一回こっち向けて』というSDr.に指示されて見せられたのが次の写真。




『辻村さん終わったよ、今回の狭窄はな、前回入れたステントとステントの間が塞がったんや』『そこにまたステント入れておいた』。『やはりこれから半年か一年に一回は造影して見てみなあかんなぁ、5年は長すぎた』と。

ステントとは、血管内に補強の為の金属製の網目状の管のことである。前回2個入れられていて、今回新たにまた1個入れられた。


手術が終わって車椅子でCCUに向かう



人差し指に付けられている洗濯バサミの様なモノは
血管内の酸素の量を測る器具。
手首にはメスを入れた傷口を押さえるリストバンド




CCUで3時間の安静
今回の5年振りのカテーテルで感じたこと。それはこの5年間で医療技術が著しく進歩したことだった。
何よりも患者の負担が軽減されたことが大きい。CCUで3時間の安静のあとは病室に戻って、トイレにも自分で歩いて行くことが可能となった。

担当してくださった3人の医師、手術室の検査技師ならびに看護士の方々にあらためて感謝。

手術の翌々日、群馬大学医学部付属病院で心臓カテーテル手術での医療事故が原因で患者が死亡したことがテレビで報じられた。やはり、医療器具や技術が進歩しても、それを扱うのは人間である。

2006年7月4日更新