1963年は翌年に東京オリンピックを控え、日本中が活気に満ちていた時代である。その中で暗い事件も起きた。3月に東京で村越吉展ちゃん(当時4歳)が誘拐され、身代金を要求される事件が発生した。世に言う「吉展ちゃん事件」である。その後吉展ちゃんは遺体で発見され、2年後の7月に犯人が逮捕された。このときに犯人が騙し取った身代金は50万円だった。 大阪駅前に日本で初めての歩道橋が出来たのがこの年の4月。9月に海老原博幸がプロボクシング・フライ級世界選手権獲得。白井義男、ファイティング・原田に次いで三人目の日本人チャンピオンの誕生。 11月に伊藤博文の新千円札が登場した。これも当時横行したニセ札に対抗する措置だった。 12月にはプロレスラーの力道山が暴漢に刺されて死亡する事件が発生した。
一方、我われの豊中第一中学校の運動会は10月13日。山田幸夫君の旗手を先頭に入場行進が始まり、徒競争、リレー、棒倒しと言った伝統的プログラムの他、組合せレース、大原女レースといったユニークな競技も。 当時、古い木造の2階建て校舎も健在で、その建物の端にくっついていた購買部の壁に「必勝祈願」の寄せ書きの布を張り、クラスの応援。その甲斐あってか、我ら大西学級は見事優勝。運動能力が飛びぬけた生徒はいなかったが、やはりチームワークの勝利であったと思う。 写真はカメラマンの趣味であろうか、斜めアングルが多く扱いにくい。 |