同窓生紹介 No.01
第1回目は山脇信文さんを紹介します。
彼は原田小学校、豊中1中の共通の同窓生で、現在南アフリカ共和国在住です。

2010年11月5日更新
2010年12月19日追加更新
2011年 1月 3日追加更新
小学校2年生の山脇さん 小学校6年生の山脇さん
山脇信文さんの略歴


1948年(昭和23年)5月東京世田谷生まれ。

1951年(昭和26年)豊中市に転居。
原田小学校、豊中第一中学、
豊中高校卒業後予備校を経てニューヨーク英語学校へ。

1969(昭和44年)ケンタッキー州立ルイビル大学
(University of Louisville)経営学科へ進学
英語に苦労しながらも1975年卒業。
(本人曰く「自慢じゃないが高校時代の英語の成績は5段階の2が最高だった。」)


1975(昭和50年)
Phelps Dodge Internationalニューヨーク財務部勤務


1978(昭和53年)住友電工海外企画部。業務部・海外電力課勤務

1986(昭和61年)
RPC住友電工南アフリカ駐在員


1989(平成元年)住友電工ヨーロッパ社光ファイバー事務所長としてロンドンに赴任。

1994(平成6年)住友電工国際企画部事業管理課長

1996 (平成8年)RPC(住友電工南アフリカ子会社)社長に就任。

2004 (平成16年) からSEWS-SA(住友電工南アフリカ子会社)社長として現在に至る。

大雑把に云えばアメリカに約10年、イギリスに5年半、南アフリカに18年と、海外生活30数年。
1998年に南アフリカの永住権を取得し、96〜04年はヨハネス在住、2004年からインド洋に面した都市ダーバンに家族と住んでいます。
ダーバンはヨハネスブルグに次ぐ人口の多い都市で、古くからの港町。サトウキビの産地として栄えた為インフラが整備されており、2010年のFIFAワールドカップの会場の一つにもなった。
彼が住む郊外のウムシュランガ地区は海沿いのリゾート地として昔から人気の高いところである。

彼が3歳で東京の世田谷から移り住んだのは原田小学校のある場所からほど近い岡町南8丁目。阪急宝塚沿線の駅に近いこの辺りには、大阪市内にある大手企業の社宅や寮などが多く点在していて、父親の仕事の転勤に伴った転校生の多い地区でもあった。原田小学校には地元の農家の子、地元に根を下ろしたサラリーマン家庭の子、そして転校生とが混ざり合っていた。中でも転校生は地元の子供にはないアカ抜けした都会的雰囲気をもった子供が多かった。そして、概ねこの子たちは勉強もよく出来た。
61歳の誕生日に撮影 ボランティア・レインジャーの制服で
2008年10月現在、南アフリカ共和国には1,357人の在留邦人がいます。
「南アフリカ共和国」という国柄については、様々な書物やネットの情報で知ることができますが、実際のイメージとして我々日本人の中にあるのは、やはり”アフリカの国”としてのイメージが一番強く持っているだろうと思います。
ここでは彼の住んでいる住居や趣味の世界、都市の中のあらゆる施設を写真で紹介しながらナマの「南アフリカ」を見ていただこうと思います。

2012年南アフリカからの便り

クリックしてください
彼が住むダーバンの自宅玄関前。ヨーロッパ風の建築様式に熱帯の植物。忠実な番犬がご主人のお出掛けを見送る。
二匹の愛犬。右はボーダーコリー(オス4歳)名前はシビー。左はシェパード(オス6か月)名前はケン(二代目)ただ今やんちゃ盛り、庭の畑や花壇を荒らして主人を困らせている。・・・でも、甘えん坊でかわいいヤツ!。
愛車はトヨタのフォーチュナー SUV車。この車を使って朝7時に出勤する。因みに南アフリカではトヨタ車が一番多いそうです。二番目はフォルクスワーゲン。
自宅周辺の街並。青いビニール袋は分別された家庭の庭の(草木、芝など)ゴミの袋。
通勤途中の車窓からの風景。日本の郊外の高速道路の風景と似てはいるが何処にも防音壁はない。
ダウンタウンには高層オフィスビルが立ち並ぶ。彼が社長を務める日本企業の現地法人事務所も2008年まではこの一角にあったが、今は郊外のトヨタの工場に隣接した場所にある。
ダーバン国際空港のロビー。
南半球最大のショッピングセンター。日用品や食料品のほか有名ブランド品の店もあり、無いものはないというほど揃ってはいるが、ただ日本の野菜類(ゴボウ、山芋、シソ、山椒)などは手に入らないため自宅の畑で栽培しています。
彼の住むダーバンという都市は、南アフリカでヨハネスブルグ、ケープタウンと並ぶ大都市です。各国の大都市と同じような都市の機能を持っています。もちろん南アフリカにも田舎=地方があります。日本の地方にも熊やイノシシなど野生動物が生息するように、南アフリカにも野生動物が生息している地方があり、そこにキリンやゾウやライオンがいる。こうした野生動物の生息地域を国が保護し国立公園として管理しています。彼はこの国立公園を管理する組織の中で、日本人唯一のボランティア・レインジャーとしての活動も行っているのです。
クルーガー国立公園は、1926年に国立公園法の制定と共に設立され、現在の敷地は19,633km2日本の四国がすっぽりと収まる大きさです。生息する野生動物は鳥類507種、哺乳類147種、爬虫類114種、魚類49種、両生類24種という多さですまた、この公園の大きな特長は、園内に宿泊施設があること。しかも、国営のテントタイプやロンダベル(シャワーやトイレが共同)といったロッジから、スパつきのラグジュアリーなホテルまで、好みによってさまざまなタイプを選ぶことができますここで彼がボランティア・レインジャーとして活動している内容はおおよそ次の通りです。

野生動物や自然環境を心無い訪問者から守るためのパトロール。
生態系保護のための外来植物の駆除。
動物の捕獲と搬送。(他の公園や海外に移送するため)
密漁阻止、環境保全、景観保護など多岐にわたっています。
そして、これらの活動は全て無報酬で行っています。さらに入園料や宿泊費、制服などすべて自費で参加しているとのことです。

公園内では厳格なルールが定められています。それは、野生動物の保護を目的とするだけでなく、来園者の生命を守るためでもあるのです。

・ ドライブが認められるのはキャンプ開門時間と同じ、夜明けから夕暮れまで。
・ 決められたところ以外で車外に出てはいけない。
・ 決められた道以外ドライブしてはならない。
・ 制限速度は50Km/hr。
・ 決められたキャンプ以外で夜を明かしてはいけない。
・ 餌付け禁止。

山脇さん曰く。
『結構いるんです、ルールを知らないとんでもないことをする外国人が・・敷物を広げてピクニックするなど、・・・自分たちがピクニックの食べ物になったりして・・・』

南アフリカには、クルーガ―国立公園だけでなく、ヨハネスブルグから車で約2時間半のところにピーランズパーク国立公園や、ケープタウンから車で約30分のところのケープ半島国立公園内には「ボルダーズビーチ」という海洋動物の生息地があり観光スポットとして有名です。
2017年クルーガー国立公園の野生動物。
来月69歳の誕生日を迎えようとする2017年、クルーガー国立公園のボランティア・レンジャーの制服姿で・・・。
喜望峰のダチョウ
喜望峰のプロテアの花
南アフリカと言えば、やはり今年(2010年)のFIFAワールドカップ。在住年数の長い彼の自宅には期間中大勢の来客が訪れました。
前列左から2人目が松木安太郎氏、その右隣が山脇氏、一人置いてセルジオ越後氏
南アフリカのスポーツ事情については、昔からの伝統で黒人はサッカーを、オランダ系白人はラグビーを、そして、イギリス系白人はクリケットという構図になっています。ただ、「人種隔離政策」撤廃以降は何かにつけ黒人優先主義を強制する傾向が目立ち、これが優秀な人材育成の妨げになり、スポーツのみならず国の弱体化につながっていることを懸念する声もあります。
外国での長い生活で一番苦労するのが食生活だろう。日本で生まれ日本で育った人間にとってそのアイデンティティーを維持するということは、日本で得たの食生活を維持することが自己認識につながるというもの。そして、その食生活を支えるのが食材としての植物である。(植物だけでなく魚や肉類もそうだが・・・)ただそこには気候風土の違いや栽培土壌の相違によって得ることのできるものとそうでないものとがある。現地で調達できない食材をどのようにして得るのか、大いに興味のあるところだ。
彼が自宅の庭を野菜畑にして様々な食材を自給している様子を写真で紹介します。
これを見て、彼が住む家がいかに大邸宅であるかが判る。そして彼の地で人生をエンジョイしている様子が伺えます。
ご本人によりますと、南アの基準ではこの程度の家は”大邸宅”と言えるほどのものではないとのことです。
以下の写真は「趣味と実益の園芸」
季節に応じて葉物野菜や根菜、ハーブ、トウガラシなどを植えている。
直径20センチのプラスチック製の下水管を利用したゴボウ栽培。 レモン、カボス、ユズなどの柑橘類も。
中央のネットで囲っているのはサルよけ。
生育中の山芋(長芋) 収穫した山芋、今年は約10キロの収穫。
ここまでは「趣味の園芸」ですが、ここからはさらに多彩な趣味の紹介です。
趣味の木工
趣味の海水魚
「趣味の焼き物」・・・・・と言っても今川焼とタコ焼きですが・・・・・。
ヨハネスブルグ時代に作った屋台。
この屋台はヨハネスブルグに住んでいた頃に彼が呼びかけ人として設立した、在住邦人の親睦団体
『ながすみ会』のホームパーティーで使用するために作ったものです。
家族連れで訪れた会員の人たちに日本情緒を楽しんでいただきました。
焼きそば、たこ焼き、おでん、赤提灯も本格的。失業しても、ダウンタウンに屋台を出して商売ができる。『日本のみなさん、是非食べに来てね!』。
ここまで見てきて彼の今日の姿を日本人の目から見れば、このような優雅でゴージャスな生活ぶりはまさしく、一握りの恵まれた「人生の成功者」として映りますが、これは南アフリカという国柄だからだと、彼はいいます。
大邸宅(日本人から見れば)に住み、庭師を雇い、住み込みの女中さんを住まわせ、さらにその子供たちの就職や学校の面倒も見る。このような生活はある種ヨーロッパにおける中産階級の伝統的なライフスタイルであり、日本のマスコミなどで取り上げられる「セレブ」と言った薄っぺらで軽薄な言葉で表現されるようなものではないということ。
彼と彼の家族はヨーロッパ的な階級社会の中に身を置いて生活しているのであります。そして、日本人からは想像も出来ない”格差”を抱えた国であるということも付け加えておかねばなりません。

下の写真は日本経済新聞社発行「2010南アフリカワールドカップ体感マガジン」に掲載された「南アフリカ永住を決めた日本人家族との出会い」の内容です。
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動画サイトYoutubeの『2010年ワールドカップ南アフリカを楽しもう 』の中にある、山脇さんの長女、愛理さんが語る『南アフリカワンポイントアドバイス』を埋め込みました。
最後に「略歴」の補足として家族のことを書き加えておきます。
1978年(昭和53)7月ニューヨークで結婚。
場所はニューヨークの国連教会で。
1979年(昭和54)9月東京で長女誕生。
1983年(昭和58)3月東京で長男誕生。
1988年(昭和63)1月ヨハネスブルグで次男誕生。

子育ての期間中は、日本−南ア−イギリス−日本−南アと転勤にともなって居住地を変えていく過程も、一度も単身赴任することなく、家族が一体となって移動してきた。一番長く日本で暮らした長女も僅か5年。そういう意味からも家族の絆は強い。
2011年=今年次男も大学を卒業して社会へ出たことで、親としての責任は果たせたと思う。
下の写真は子育て奮闘中の子供たちとの記録。
47年振りの再会
秋も深まった2010年11月27日、仕事で一時帰国した山脇さんと大阪梅田で落ち合い、彼の中学時代の恩師西川先生のご自宅を訪問した。彼にとっては卒業以来じつに47年振りの再会となった。このとき彼と同じクラスメイトで小学校時代からの幼友達でもある後藤さんも誘って、3人連れだって訪問した。
彼は自宅のある南アの都市ダーバンから飛行機を乗り継ぎ、約27時間掛かって帰国。凡そ10日間の滞在期間中、業務で名古屋〜東京間を往復。この日も大阪へは日帰りの行程だった。

(写真上)西川先生ご夫妻をはさんで教え子二人が再会を喜ぶ。
恩師との昔話は大いに盛り上がり、中でも後藤さんの子供の頃の思い出に話題が及ぶと、ガキ大将だった後藤さんの武勇伝が披露された。おおよそ彼が成人して後、教育に携わる仕事に就くなど想像できない話の内容だった。因みに後藤さんは市の教育委員会理事を最後に昨年定年退職。
南アから夏の便り
日本に季節の移り変わりがあるように南アフリカにも四季があります。ただ、向こうは南半球の国、ちょうど日本とは正反対で1月3日は真夏です。ここではヨーロッパの生活文化に支配されていますので12月半ば過ぎからクリスマス休暇に入ります。従って彼の会社も12月18日から1月2日まで休みになります。(日本から見れば羨ましい限り)
この休暇のあいだに日本人駐在員家族や在住日本人の知人家族らを招いての「クリスマスパーティー」や「年末パーティー」の予定があります。
彼は1カ月前頃からこうしたパーティーの準備を始め、休暇に入ると庭仕事や畑仕事の合間に「屋台」を作ってパーティーに備えます。(仕事より忙しい!)。

2011年1月3日更新
趣味の日曜大工で新たに作ったホームパーティー用の「屋台」
出来上がった「屋台」。暖簾や赤提灯を付けてホームパーティーの演出効果バッチリ。
「焼き物」を扱う手さばきも板に付いた『屋台のオヤジ』。仕事よりもコチラの方が似合っているかもネ・・・。
「屋台」の出し物は焼き鳥、焼きイカ、みたらし団子、トウモロコシと、日本の縁日でお馴染みの物。招いたお客に日本の味と情緒を味わって貰おうと言う彼の心遣いです。
屋台作りや庭仕事の疲れを愛犬とプールで癒す。
愛犬シビー(ボーダーコリー)も泳ぐのが大好き。だが、まだ幼いケン(シェパード=生後8カ月)は水が怖いのかプールサイドを行ったり来たりして眺めているだけ・・・。

このプールの写真を公開するにあたって、彼は少々抵抗感がありました。何故なら「プール付きの家」に住んでいるということが、いかにも自慢げに映ってしまわないだろうか、ある種の「見せびらかし」と受け取られないだろうか、と危惧したからです。
ただ、日本から見れば「プール付きの家」に住むと言うことは、限られた一握りの大金持ちの生活に見えても、ここ南アフリカでは決してそうではない。このようなライフスタイルが「特別な存在」ではない社会の仕組みの中に生きている、(日本企業現地法人社長として)ということだそうです。
もちろん国民の大多数がこのような生活をしている訳ではないが、そこには日本から見れば想像を絶する社会の格差があり、善かれ悪しかれ歴史と文化の異なった国柄であるということです。

続・南アからの便り
多忙極まる仕事の合間をぬって自宅敷地内の菜園の世話も日課のひとつだ。インゲン、とうがらし、山芋、さつまいも、シソ、ごぼう、など地元のショッピングセンターで売っていないものは、全て自分で栽培する。2011年夏(2月)の菜園の様子をお伝えします。
サツマイモの成長も順調のようだ
プラスチック製の下水管を利用したゴボウ栽培、葉っぱはまだ幼い。
シソの葉っぱは真夏の太陽の光を浴びて大きくなる。
採れたてのインゲン
収穫したとうがらし
ナスビは先っちょが日に焼けてしまった
収穫したトウガラシで自家製のラー油も食卓を賑わす
 (写真下)2011年冬(といっても8月のことです)自宅プールサイドに「露天風呂」を設置。その名も「きまぐれや」なんとも優雅・・・。人生をエンジョイしている様子がうかがえます。
 
 
 
 
 
 
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